「日本で運送の仕事に携わるとは思ってもみなかった」。1984年にカメラマンになる夢を持って来日したラビ・ロイ(原山晃一)氏は現在、海コン輸送を行う杉之間サービス(神奈川県横浜市)の代表を務めている。30年以上を過ごした異国の地で今の立場になるまで、多くに人に支えられながら、たくさんの困難を乗り越えて来た。

東パキスタン(現バングラデシュ)で生まれたラビ・ロイ氏は、1971年のバングラデシュ独立戦争で戦火を逃れるため、母とインドに渡った。しばらくして母が亡くなり、孤児となったロイ氏はフランス人に育てられ、戦争が終わってバングラデシュに戻ると、首都ダッカにある「ダーマラジカ仏教孤児院」に預けられた。

孤児院に居た時、観に来ていた多くの日本人と知り合って、日本に興味を持つようになった。自身がカメラマンになる夢を持つようになったのも日本人学生と知り合ったのがきっかけだった。その日本人学生がバングラデシュで病気になった時、ロイ氏が面倒を見て、そのお礼としてカメラをもらうことになった。

そのカメラをきっかけに、ロイ氏はカメラの勉強がしたいと思うようになった。そんな時、ロイ氏がお世話になっている孤児院に援助していた立正佼成会が平和基金でロイ氏を留学生として日本に受け入れてくれることになった。

学んだカメラの技術を生かすためにバングラデシュに帰国したものの、仕事がなく、宗教差別にもあって、1年も経たないうちに日本に戻って来た。カメラマンになる夢を持ちながらも、日本で生活するために、トラックドライバーのアルバイトを行った。この時から運送の仕事に携わるようになった。

その後、車の整備学校に通いながら整備工場で働いて、ちょうどこの頃に、妻となる原山愛子さんと知り合って、約1年後に結婚。カメラマンになる夢を諦めて、海コン輸送をやっていた運送会社で働くことになった。

その後、協力者の力を借りてロイサービスを設立。思うように仕事が増えない状況が続くも、独立前からお世話になっていた杉之間商店から、大手取引先など多くの仕事を回してもらうことになったため、信頼のある杉之間の名前をもらって杉之間サービスに改名した。

今日に至るまで、同社は多くの困難を乗り越えて来た。なかでも、従業員5人が労働組合に入って、いわれの無い問題で叩かれたこともあった。裁判を行うも問題が見つからず、裁判で会社に非が無いことが証明されたが、原山社長は「嘘をつかずルールを守ってまじめに仕事に取り組んで来たのになぜこのような問題が起こるのかがわからない」と、環境や仕組みに不満を感じることがあるとした。

そうした不満を解決していくため、「社員には、無理させないように。仕事とプライベートが両立できる会社にすることが私の夢」とし、妻・愛子さんをはじめ、三女と長男とともに、会社の発展と社員にとって働きやすい環境づくりに取り組んでいる。

◎関連リンク→ 有限会社杉之間サービス