建機や重量物から一般貨物輸送まで手がける古木重機運輸(神奈川県相模原市)の古木哲郎社長。昭和55年に父が設立した同社を継いだ。4歳からポケバイを始め、幼少期から中学生まではバイクレースに夢中になった。毎週のように全国のサーキットを転戦した。中学2年生でバイクレースを引退。次に目指したのは海の向こうだった。「英語ぐらいは話せるようになりたい」そう考え、アメリカへ留学を決意。高校の3年間を同国で過ごした。

帰国してからアメリカに本校のある大学の日本校に通った後、運送業界の門を叩いた。最初に務めたのは地元相模原にある運送会社。父の友人の会社でドライバーとして修行を積んだ。父の体調悪化を機会に、古木重機運輸に入社。同社長はドライバーとして現場へ、母が事務所を切り盛りし、家族で会社を支えた。

同じ運送業界とはいえ、修行した運送会社で扱っていたのは事務機器など。重機回送の世界は仕事の内容も人の気質も全く異なる。あまりの違いに初めは慣れなかったという同社長だが、重機に関しては子どもの頃から慣れ親しんでいた。現場で怒られることもあったが、休憩の時にはまったく別人のようになる。「ぐずぐず後に引きずらない、からっとした性格の人が多い。親父と一緒だと思った」と当時を懐かしむ。

会社として次の転機が訪れたのは10年ほど前。運転者から「重機だけではなく一般貨物も扱ってはどうか」と提案を受けた。荷物の当てがあったわけではなかったが、運転者が仕事の合間に営業活動をしてくれたことで徐々に新しい仕事が増えていった。

現在、目標としていることは、次の世代を担う、新しい時代に適応できる後継者を育てていくこと。同社長自身が2代目だからこそ、先代から引き継いだものを遺さなければならないという強い思いがある。「自分が60歳になる頃には引退できれば。それを目指して頑張っていきたい」と語る。