経営再生物語(376)リーダーシップについて(8)―2
私のクライアントである経営者と、リーダーはどうあるべきか、話し合った際のことである。その経営者の経験として夜逃げした経営者のことを聞いた。
「私の同郷の先輩で150人も使う工場の経営者で夜逃げした人がいます。今から思うと、その経営者はリーダーとして失格でしたね。
創業してから2〜3年は、現場で汗水流していましたが、それ以降は机のうえで指示して、工場内に入ろうとしませんでした。
そのうえ、奥さんが経理をやっていて実に勝気な人で、〝かくれ社長〟として取り仕切っていました。創業して10年頃に大きな家を借金で購入し、公私混同でローンの支払いを会社の金で行い、次第に資金繰りは火の車になっていきました。
その頃、私に相談にきたのです。工場を移転し、拡張するため、銀行から借金するので、ついては保証人になってほしいとのことです。私は断りましたよ。ただでさえ、資金繰りが苦しいのに無理な拡張しても成功する見込みはうすい。いくら先輩とはいえ、保証人にはなれません。
それより、ベンツに乗ってふんぞり返っている姿に不安を覚えました。借金の保証人を頼みにきているのに。見栄をはっている姿が哀れでした。
夜逃げする前の晩にも夫婦で私のところへ来ました。その時でも虚勢をはっていたので、夜逃げするところまで追い込まれているとは分かりませんでした」
この経営者の話を聞いて、私は「王子とこじき」の童話を想起した。リーダーのあり方として、現場をよく知ってそのうえで、人を引っ張っていく姿勢の大切さだ。社長だからということで、偉いのではない。
社長という役目をしっかりと実行して立派なのだ。夜逃げした経営者は派手で見栄っ張りで、いつの間にか創業の苦労も忘れてしまった。ここに落とし穴がある。夜逃げといういわば、こじきに成り下がってしまった。リーダーのあり方を考える時、リーダーだから偉いのではなく、リーダーとしての行動の中身が問われるのだ。
中身の芯にあるのは、人間性の豊かさである。いわば徳である。徳は現実の体験を通して身につけ、深めうる。「王子とこじき」のエドワード王子の例がそうだ。本当のこじきにならなかったのは、自分は王子だとの自覚である。この自覚をバネにして、最底辺の現実から深く学べたのだ。
こうして考えてみると、自分は何者かという正しい自己認識、誇りは、リーダーの条件であることがよく分かる。
(つづく)
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